江戸時代、高田松原のあたりは強風により砂や海水の飛沫がその背後にある田畑まで届いていました。寛文7年(1667年)高田村の豪商、菅野杢之助(かんのもくのすけ)が植栽を始め、その後、享保年間には今泉村の松坂新右衛門が増林しました。両翁の努力が実り、立派な防風林、防潮林が育ち、田畑の作物が実るようになりました。陸前高田に住む人々は、先人の遺志を受け継ぎ、高田松原を守り育ててきました。
三陸のリアス式海岸には珍しい全長2kmにわたる砂浜とともに、クロマツとアカマツからなる7万本の松林が広がっていました。白砂青松の美しい景観は国の名勝にも指定され、日本百景にも選定されました。石川啄木や高浜虚子がその美しさを謳っています。近年は、夏は東北有数の海水浴場としてにぎわうなど、年間約100万人が訪れる観光地として、また市民の憩いの場として親しまれていました。
高さ10mを超す大津波によって、松原の木々は根こそぎ倒され、白砂青松の美しい景観は失われてしまいました。そのなかでたった1本残った松は「奇跡の一本松」と呼ばれ、被災者のみならず、多くの人々に勇気と希望を与えました。
ブルー&グリーンプロジェクトは、活動拠点を国内に移し東日本大震災で流失した「高田松原(岩手県陸前高田市)」の再生活動の支援をスタートしました。家庭の消費エネルギーの削減に引続き取り組むとともに、「高田松原を守る会」など市民の皆さまとともに松苗の保育、植栽などを行い、高田松原再生による被災地の自然環境や歴史的風土の再生を支援します。沿岸2キロにわたり整備される2本の防潮堤(第1線堤:3.5m、第2線堤:12.5m)の内側に高田松原の再生が予定されています。その一部には市民による植栽・保育エリアが設けられる予定です。
試験植栽、本植栽及び補植に必要とされる苗木の育成
的確な本植栽の方法を検証するための高田松原の周辺沿岸での植栽活動
松原再生地域での植栽活動
松原の維持保全に向けた保育活動
松原再生活動の理解促進と次世代を担う保育実践者の育成
現地での「高田松原再生講座」の開催