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09 高田松原の歴史は、1667年に高田の豪商であった菅野杢之助が私財を投じて松植林を始めたことに端を発します。その目的は潮風や高潮、飛び砂などの自然の脅威から田畑を守るためであったことから、正式名称は「高田松原海岸防災林」と呼ばれました。それから約350年の間、「明治三陸津波」、「昭和三陸津波」、「チリ地震津波」などたびたび津波に見舞われた陸前高田を守り続けてきました。 また、高田松原は、白砂青松の松原の美しさが高く評価され、昭和2年には日本百景に指定され、昭和15年には“名勝 高田松原”として国の指定文化財に登録されました。その中には「岩手の湘南」と称される海水浴場も含まれており、毎年多くの観光客でにぎわいました。 2011年3月11日、東日本大震災が発生し、陸前高田市は地震と大津波に見舞われ、これまで津波から町を守り続けてきた約7万本の松のほとんどが流されてしまいました。 高田松原は、これまでも大きな津波による被害を受けてきましたが、そのたびに地元の方々が協力し合い、松原を再生させてきた歴史があります。今回も、地元の方々の「美しい松原を孫世代にも見せたい」という再生に向けた決意が、再生計画の大きな原動力となったのです。 震災後、2012年から2014年にかけて、岩手県・陸前高田市・市民の三者が協議し、高田松原再生の計画が検討されました。この計画の中で、松原全体の約8ha(ヘクタール)の植樹エリアのうち、約2haが「市民による高田松原再生活動」の範囲として指定され、市民による約1万本の松の植樹が行われることになりました。 植樹にあたり、松が順調に成長すること考慮し、マツ材線虫病の抵抗性松苗を使用することとなりましたが、抵抗性松苗を1万本入手するのは困難でした。そこで、同県内ではなく、大分県の山林種苗生産者から種を入手し、寒冷地での植樹を考慮して山形県酒田市の北庄内森林組合の苗畑で育苗していただきました。いわば日本を股に掛けた松苗なのです。 また、松苗のうち600本は「高田松原由来の松苗」が植えられることになりました。これは、震災前に高田松原でクリスマスリース作りのために松ぼっくりを拾い集めていた女性から松ぼっくりを寄贈して頂き、そこから得られた種子を発芽させた松苗になります。県外からの協力と震災前の高田松原の松の遺伝子が組み合わさり、新しい高田松原の再生が進められたのです。10陸前高田と高田松原の歴史と再生市民による高田松原再生活動と約1万本の松苗あの姿をもう一度。高田松原復興計画が立ち上がる。

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