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InterviVounteers’ ewl29根本〉 分担という意味では、私らはパワー系の仕事専門でしたね。竹簀などに使う竹を切り出しに竹やぶに行ってました。片野〉 そういえば少林寺さん、編む作業の時ほとんどいなかったなぁ(笑)。根本〉 もう喜んで竹を切りに行ってました。だんだんみんな燃えてくるというか、竹を切っても上の方の枝が絡み合っていて、意地になって引っ張り出したりして。苗も育ってきて作業もひと段落ですが、今後の高田松原に期待することは?牧野〉 コミュニティー活動が戻ってきて、地元の方たちが自走できていくことが一番いいと思います。いろいろな人がかかわっているので、そのつながりを大切にしつつ、松原や街の発展につながっていったら頑張ったかいがあるなと思います。片野〉 いろんな人が松の成長を見に集まってきてくれたらいいですね。地元の方には「高田松原のことを忘れないで欲しい」、「家に帰ったら、ぜひ家族や周りの人にここでのことを話して欲しい」と言われます。その話を聞いた人が高田松原にやってきて松の成長を見る、そんなコミュニケーションが続くといいなと思います。根本〉 高田松原は市民の誇りです、といろんな人に聞きます。そういう位置づけに早く戻ってくれるといいなと思いますし、そのお手伝いはいつでもしますよと。最後に何か裏話は?根本〉 災害ボランティアをやっていると、いろんな工夫やいろんな道具が必要で。松を植えるなんて初めての体験だから、何でもYouTubeでやり方をチェックしたりして。牧野〉 YouTubeといえば、植樹の指導で、みんな偉そうに講義してましたけど、前日に少林寺さんにやり方を撮影してもらって編集して、それを共有して、作業の30分前くらいになんとかマスターして。片野〉 そうそう、みんな講師とかリーダーっていう顔しているんだけど、「これ一度もやったことない!」みたいなことが良くあったね。根本〉 なんだかんだ、前日の夜、練習して、みんなに配信して。今だから言えるボランティア作業の前日の裏話ですね(笑)。去から学習支援までボランティア活動をしてきました。そうした中で高田松原再生の取り組みを知り、遠隔地でも何かできるのではないかと、大館から被災地に通っていたメンバーを中心に「寄り添う会」を立ち上げました。 大館で行ったのは、防草シートとそれを地面に固定する竹ピン、そして高田松原の松の遺伝子を持つ「由来の松」を識別するためのロープづくり。なにしろ数が多くて、防草シートは3〜4千枚、竹ピンは8千本。ロープも1千本近く。これを近くのお寺の一室を借りて、地元の有志たちと仕上げました。 本当は現地に復旧のお手伝いに行きたいけれども、距離やそれぞれの事情でなかなか行くことができない、そんな気持ちを持ち寄って、中には90歳の参加者もいました。 大量の作業をこなすには、効率化が必要で、流れ作業の分担を考えたり、町内の鍛冶屋さんや大工さんの協力で道具を作ったり。そうして多くのいのち・くらし・みどりに寄り添う会代表 髙橋秀一さん人が入れかわり立ちかわり「寄り添う会」をプラットフォームとして、高田松原の再生に携わることができました。 やれる範囲で、やれる時に、やれる人が、というのがボランティアの合言葉。遠く離れていたって何かをしたいと集まる人たちがいるんだ、そういうことを確かめる場ができて、僕はとても感謝しているんです。30松苗を守り育てていくためのツール開発〜後方支援部隊の活躍 松苗を潮風や雑草から守り、しっかり育てていくためには、さまざまな道具が必要です。わたしたち「いのち・くらし・みどりに寄り添う会」は、植樹活動の一環として、高田松原からはかなり離れた秋田の大館という場所から、道具作りによるサポートを行ってきました。 私自身は、被災地をほぼ毎週訪れ、がれきの除どこからだって参加できる、みんなの想いをつなぐボランティアの形。

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