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2017年6月に苗木を植え始め、2021年5月に植え終わる〜市民植樹エリア約1万本と、岩手県約3万本の植樹が行われ、高田松原はその姿を取り戻す準備が整いました。 高田松原は340年余りの歴史を有し、アカマツとクロマツ、その中間種が生育していました。これまで、高田松原は明治・昭和の大津波に破壊され、その都度地元の人たちの力によって復活を遂げてきました。今回も、松原の歴史と特性を継承し、地元の人たち、そして全国の人たちも参加する再生21を持続させるしくみづくりが大切でした。再生を進める3つの原則 高田松原を守る会の皆さんに、どのように再生を進めたいのか、お考えをお聞きしました。そして、①植栽と保育に『大勢の人たち』の参加を促す工夫をする、②各地の海岸林で活動する人たちと交流を通して『顔が見える』つながりをつくる、③市民の皆さんに活動の模様をお伝えして『一緒に歩む』進め方とする、という3原則をつくりました。このなかで、『大勢の人たち』というキーワードに関わる活動に力を入れました。 再生活動の進捗を伝えるとともに、松原の応援団になっていただくことを意図して開催した「高田松原再生講座」は6回を数えます。日本海岸林学会のみなさまには多くの学術的知見をいただきました。一般財団法人 日本緑化センター理事 瀧邦夫さん 〈寄稿〉ご支援いただいた方々へ 高田松原を守る会の記録によると、市内・全国からおよそ延べ2万人の人たちが再生活動に汗を流しました。一般財団法人ベターリビングの推進する「ブルー&グリーンプロジェクト」によるクロマツ苗の支援が、松原を再生したいという希望を叶え、多くの人たちの共感と行動を生み出す力となりました。改めて、感謝を申し上げます。〈取材協力〉 一般財団法人 日本緑化センター22大分産のクロマツ種子を積雪寒冷地の山形で育てる−コンテナ栽培による苗木の育成市民による植樹エリアの面積は約2ha、ここに植えるクロマツ苗木本数は約1万本です。被災海岸林全体の植栽本数はぼう大で、種子入手は困難でしたが、大分産の抵抗性クロマツ種子を入手し、寒さに慣れさせるため山形県酒田市で育苗しました。竹簀(たけず)は人と人のつながりを深める−約1万枚の竹簀を完成仙台市荒浜地区では苗木の風よけに葦簀(よしず)が効果的でした。しかし本番用に必要な約1万枚は生産が追いつかず、また陸前高田に葦はないが竹ならある。そこですべてを自前生産することに挑戦しました。多くの方の手と知恵を借りて目標枚数を達成しました。みなさんの熱意が竹簀に編み込まれました。根の伸びを良くするための土の締まり具合を調べる−土の柔らかさ数値が工事仕様書に記載松原の植栽基盤に使う土を、約600㎡、高さ1mに盛土し、重機で締固めた区画、締固め後に表層30cmを耕耘した区画、締固めず盛るだけの区画の3区画を造成。苗木を植栽して2年間、根の伸び具合を調べました。その結果から、締固めず盛るだけに仕上げる基準値を作成し、植栽基盤を実現しました。浮き輪を付けて海から松原を眺める−小学生が描いた「私の高田松原」市民の記憶を形に表す「わたしの高田松原」作品コンクールを開催。3年間で絵画、絵手紙、作文、俳句など応募総数は372作品。最も印象に残った1枚がこの絵です。2021年7月に震災後初めて高田海岸では海開きが行われ、小学生の夢は現実になったのだろうと思います。市民による高田松原の再生活動を振り返る。

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